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独占インタビュー! ワトキンス博士が語るセナ パート1

セナVs.プロスト
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第1コーナーにかけてのセナVs.プロストのバトル・・・

世界中の多くのレースファンにとって1994年5月1日の日曜日は決して忘れられない日だろう。この日、イモラで開催されていたサン-マリノGPでアイルトン・セナが命を落とした。

この度、『ESPN Racing-Live.com』は長きにわたってF1の医療部隊を率いてきたシド・ワトキンス博士の独占インタビューに成功。かつて信じられないほど危険なスポーツだったことから得られた安全面の利益、そして3度のワールドチャンピオンに輝いたセナについて語ってくれた。

「彼は史上最高のドライバーの1人だった。私としては最高だったと思う」と話すワトキンス博士。

「彼は本当にアグレッシブで、少しのためらいもなくオーバーテイクすることができた。これは彼の素晴らしい技術のひとつだ。そして、彼は本当に、本当に速かった。これらすべてをまとめて、彼が史上最高のドライバーの1人として称賛されるに値すると思う」

セナがトールマン時代に首の不調を訴え、仕方なしに訪れたメディカルセンターで出会って以来、ワトキンス博士はセナと密接な関係を築いてきた。それはワトキンス博士が“家族関係”のような友情だったと説明するほどのもの。

「私はとても彼が好きでね。われわれは本当にとてもうまくいっていたんだ」

「そうさね、独特の結束というか、実際、他のドライバーとはこういったことはなかった。そして彼は本当の家族の一員になったのだ。私の子供たちとも仲良しだったし、子供たちが小さい頃は本当に優しくしてくれて、彼は子供たちのアイドルだったよ。彼は私たちと一緒にスコットランドで過ごし、また私も彼とブラジルで過ごした。おもしろかったのが、グランプリ週末にサーキットでその時初めて彼に会うと、例えば、彼は突如私がそこにいることに気づいて、本当にうれしそうにしていたね」

セナとワトキンス博士がその親密な関係を楽しむ一方で、長きにわたるマクラーレン・ホンダのチームメイトであるアラン・プロストはないにせよ、セナは多くのライバルたちともうまくやっていた。

「彼とゲルハルト・ベルガーは本当に親友だった」

「それにデイモン・ヒルとも仲が良かったと思う。あとはナイジェル・マンセルだ。彼らは誰もが彼(セナ)をとても尊敬していたからね。それに彼もとてもフェアで、彼らに対してかなり友好的だった」

「だが、彼はプロストのことはあまり好きではなかったようだ。それからミハエル・シューマッハも。なぜなら彼らは彼とかなり競い合っていたからね。彼ら(セナとプロスト)は非常にいがみ合っていた。もちろん、彼らが高い競争力を持っていたので、サーキットで見る側としては彼ら2人ともが素晴らしかったので最高に興奮したがね」

マクラーレンのお家騒動は1989年の鈴鹿が記憶に残っていることだろう。リードを争ったセナとプロストだったが、シケインへのアプローチでプロストがセナのドアを閉じた結果、両者は衝突。プロストはすぐにマシンを降りてリタイアとなったが、セナはエスケープロードを通ってコース復帰し、ついにはレースで優勝する。

しかしながら、シケインをショートカットしたとしてセナはリザルトをはく奪され、表彰台の頂点にはベネトンのアレッサンドロ・ナニーニが立った。

「セナは非常に憤慨していて、レース終了後に失格だと聞いてすぐは悪態をついていたよ。彼は自分が勝ったと考えていたからね」

「しかし、彼が勝たなかったという事実には問題があった。彼はプロストとの接触後、コーナーをカットしていたのだ。だが、私は彼ら両方に等しく責任があったと思っている。誰か1人のせいではなかったと思う。競争の一部だっただけ、だとね」

「彼はFIAが彼から優勝を取り上げたことをとにかく怒っていたが、最終的には(当時の)FIA会長(ジャン・マリー・バレストル/2008年に死去)に対する発言を謝らなければならなくなった。彼はそれらすべてに相当起こっていた。彼を非難することはできまい・・・」

この事故は翌年の日本GPでのドラマへの布石だった。マクラーレンからフェラーリに移籍したプロストを抑えてポールポジションを獲得したのはセナ。グリッドが好みの左側ではなく、右側だと教えられたセナは激高したという。

セナが恐れたとおり、プロストがいいスタートを切る。そしてターン1に向かってフェラーリがマクラーレンの前にジリジリと追い上げた。結局、セナは引かず、ライバルを道連れにリタイア。チャンピオンシップはセナの手にわたった。

「そして、再び、だ。おそらく・・・、彼らは互いに屈しなかったのだろうと思う。そしてセナはプロストのホイールと自分のホイールを何とか近づけて、自分はもちろんプロストもとばっちりを受けてコースオフを喫したのだが、セナはとても素早くマシンから降りた。(私のメディカル)カーが到着した際にはもうもうたる土煙がすごかったのだが、私たちが到着したときプロストはまだマシンに座ったままで不満そうな顔をしていたよ。ヘルメットを脱いでマシンを降りたセナはリスタートがあった場合に備え、サーキットを横切ってピットに駆け戻ったのだ」

セナが有能であることは間違いないが、ライバルのプロストとの関係と同時に起こったバレストルとの衝突は輝かしい瞬間のひとつには数えられない。しかしながら、ワトキンス博士はこの件に言及せず、世界一とうたわれる彼の卓越したドライビングテクニックに焦点をあてて話を進めた。

「ジミー・クラークがそうであったように、彼もドライビングにおいては途方もなく正確だった」と述べたワトキンス博士は次のように付け加えている。

「そしてもちろん、彼はものすごく速かった。私は日本で一度彼がスタートでストールしたことを覚えている。確か、彼はポールか、そうでなくともフロントローに並んでいたのだと思うが(実際はポールポジション)。私の車は最後列の後ろからスタートするわけだが、私たちは彼に並び、そうしたら、彼がマシンを滑らせてエンジンをかけようとしているではないか。そう、われわれは互いに並んでいた。言い換えれば彼が No.29、確かそうだったと思うが、そして私たちがNo.30という風に言えるわけだ。しかし、彼は弾丸のように去り、雨の中で全員をかわし、最後にプロストをかわして優勝した、というわけさ」

(F1-LIVE.comより)

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