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独占インタビュー! ジャコビが語るセナ パート2

「セナは国の象徴だった」
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アイルトン・セナ

アイルトン・セナのマネジャー兼ビジネスアドバイザーを務めてきたジュリアン・ジャコビに『ESPN Racing-Live.com』が独占インタビュー。パート1の続きをどうぞ!

念願のウィリアムズ移籍を果たした1994年、セナは高い希望を持ってシーズンをスタートしたが、開幕から2戦でノーポイントに終わる。迎えた第3戦サン-マリノGPでセナはチャンピオンシップの仕切り直しを図ろうとしていた。

しかし、金曜日にはルーベンス・バリチェロが病院に搬送されるほどの深刻なアクシデントに見舞われ、土曜日にはローランド・ラッツェンバーガーが予選中のクラッシュにより死亡する。日曜日の朝、ドライバーたちは安全性について議論するために集まり、セナは積極的な役割を約束したという。そして彼らはレースへと向かう。

「彼が起こったことに非常に動揺していたことは分かっている」と話すジャコビ。

「彼は土曜日の夜にフランク(ウィリアムズ代表)に会いに行き、フランクの部屋で夕食をとった後、フランクから“本気でレースに出るつもりか?”と聞かれていた。もし彼が落ち着いていなかったのであれば・・・」

「そしてフランクの部屋からの帰りに私の部屋に来た彼は、フランクと話して何も問題ないと伝えたと話していた。それだけのこと。それが土曜日の夜に彼を見た最後だ。私は特に彼の異変には気付かなかった」

サン-マリノGPはスタート直後のアクシデントの影響からリスタートが切られる。セナは急速にラップを刻んだ。タンブレロを迎え、セナのマシンはコースを離れて時速200kmの速さでウオールに激突。セナの頭部は少なくとも3カ所の外傷を負っていた。

「モーターホームにいたから、アクシデントは覚えている。深く考えることなどできまい。そう、それが致命的なものになるだろうなんて、ドライバーにそれが起こるなど、考えもしない。だが、見たところ相当深刻なのは明白だった。そしてご存じのとおり、彼はサーキットから病院へと空路、搬送された。何もかもを打ちのめすようなことを避けるため、彼らは現場で彼が死んでいると断言しなかったようだ。F1の慣例として、命にかかわるような事故が起こった場合、病院に到着するまでは死亡と断言されないらしい。私はそれを立証できないが、サーキットでは誰も彼が死んだとは言わず、彼は空路で病院へと運ばれたのだ」

「私は行き方を知るブラジル人ジャーナリストと車で向かった。金曜日にバリチェロが運ばれた時に行ったから知っていたようだ。だから、病院に到着し、執刀医に会って彼に生命維持装置が装着されていると聞いて、そこで初めて命にかかわることなのだと知った」

F1界が突如としてその素晴らしいドライバーを失った瞬間、世界中を衝撃のニュースが襲った。1994年の悲劇的なイモラの週末より先の10年間を見ても、これだけ重大な事故はほとんどない。

しかしながら、レースというのは危険なスポーツであり、これからもそうあり続ける。

「すべてのドライバーがリスクを承知だ。実際、危険なパッションだ。そうだね、彼らは皆、そろいもそろってレースに情熱をささげている。誰もがレースを愛しているからやっているんだ。そして彼らはまた卓越している。しかし、それが自分の身に起こるということは考えたことがないはずだ。なぜなら、それを考えていれば鈍くもなるし、それがマージンにもなる。ドライバー間の差などごくわずかだ。誰がもう少しを得られるか、それだけなのだ。もし何かしら疑念があれば、そのもう少しを得られることはない」

それまで密接に、そして友好的にアイルトン・セナと接してきたジャコビは彼の死を深く悲しんだ。

「私にとって、個人的に言えば・・・、そう、大きな喪失感だった。彼はクライアントというだけでなく、良き友であり、心から好きな人物だったから。彼の賢さやユーモアのセンスが大好きだったし、これはゲルハルト(ベルガー)もあなた方にそう話していたね。そして、彼はとにかく偉大で・・・この30年、私がビジネスで出会った人々の中で彼は最も知的な人物の1人だった。また人として、彼は最高の人間だった。とても優しく、人にとても親切な人間だった」

セナは決して譲ることのない頑固なドライバーだったが、ジャコビは彼のハートが正しい場所にあったことを覚えていると話す。

「自分の目標達成への探求は非情だが、それ以外ではとても気を使っていた。彼はチャリティにとても貢献しているのだが、誰もそれを知らない」

「それから、ある夜、彼から電話があって、夜中だったんだが・・・戦争のドキュメンタリーをテレビで見たとかで、それがボスニアだったのかセルビアだったのかは分からないが、バルカン半島のどこかの戦争に関するもので、子供たちが爆撃やいろんなことで重傷を負っている、と。それを見て彼は私に電話をよこし、“この番号を書きとめた。いくらか送金してもらいたいんだけど、確実に匿名にしてほしい。とにかくお金を送りたいだけなんだ”と言った。それが何度もあったんだよ」

「そして数年後、私は彼がいとこを通じてブラジルからも同じようにしていることを知った。だが、決して彼は私に言わなかったのだ。また、彼はそのいとこにヨーロッパでも同じことをやっているとは言っていなかったね。だから、彼は多額をチャリティに寄付しているが、それを公にはしたがらなかった。すべて匿名だったのだよ」

セナの葬儀には国家の誇りを悲しむように全国民が集った。ジャコビは参列すべくブラジルへと飛び、そこで見たものに畏敬の念を抱いたという。

「ああ、あのような経験は他にしたことがない。200万人やそれ以上の人々が道にいる様子は目を見張るものがあった」

「喪失感のようなものがあったが、静けさもあった。多くの人々がただ黙っているのを見るのはとにかくケタはずれの様だった」

「彼は国の象徴だったのだと思う。国のスピリットだったのだろう。当時のブラジルは・・・15年前か。彼はブラジルで唯一最大のスポーツマンだった。それからペレだ。彼の登場で事実上、先進国と同等の条件の状態でブラジルは競争しようとしていた」

「そう、ブラジルにとってあの時・・・15年前は世界をまたにかける彼がブラジルのスピリットだったのだ。現在のブラジルを見れば、自動車メーカーや飛行機メーカーがどれだけ成長したことか。エンブラエル株式会社の飛行機を知っているだろう、世界中どこでも見かける。15年前はそうでなかった。確立すべき未熟な産業だったのだ。だから彼は・・・彼は・・・彼がブラジルだった、本当に、その当時は。ペレが引退してからはセナがブラジルだったんだ」

なぜ今もセナの遺産がとても強く残っているのかとの問いに、ジャコビは才能を述べることはもちろん、別次元のこと―――人としての要素を加えた。

「彼がラテン系だったからとか、彼が独身だったから、彼の見た目が良かったからなのか、それは私には分からない。だが、彼は他の人にないものを持っていた」

そしてジャコビはセナの重要なパートとして人生経験を加えている。

「亡くなったとき、彼が30代だったことも忘れてはならない。今日のチャンピオンたちはどんどん若くなっている」と指摘するジャコビ。

「水泳であれ体操であれ、モータースポーツであれ関係ない。アスリートやスポーツマンで21歳の者と31歳の者が同じカリスマを持つことができるとは信じていない。10年分の人生がある。そして彼は人生を生きた。だから彼は彼自身のもので伝えたいことがあったのだ」

「私が思うに、彼の遺産はおそらくジム・クラーク以来、最も競争力があり、最も自然な才能を持ったドライバーだということ」

またジャコビ自身はセナの変わり者ぶりが他の何よりも彼を失ったさみしさをもたらしていると言及する。

それは「夜中の電話」だと。

「私たちはよく、サマータイムにウインタータイムがあるように、セナタイムがあると言っていたよ。セナタイムは常に遅い時間だ。彼は正午まで起きることがなかった。ランチタイム前に彼に電話などできやしない。レースやテストがなければ彼は正午前後に起きる。12時半過ぎくらいかな。それで走りに行って、2時にブランチをとる。夜の10時までは食事をしないんだ。そして(午前)2時にベッドに入るのさ。彼には彼自身の新陳代謝があったようだ。並外れていたよ。朝すぐには役立たなかったがね」

「それでアイデアを求めて夜中の1時に電話をかけてくるのだ。彼は“ブラジルの父と話していたんだ”と言う。ヨーロッパの1時はブラジルの夜9時だからね。そして“これこれについて話し合っていたんだけど、どう思う?”とくるのだよ。当然、こちらは寝ぼけているわけだ。彼は自分と同じ時間で動く者がいないなどとは考えなかったゆえに、相手が目を覚ますことを期待する。これはセナタイムとして知られていたよ」

もしもアイルトン・セナがレースを続けられていれば、チャンピオンシップの勝利を重ねていただろうか? そしてF1から引退していただろうか?

「チームを持たなかったことだけは確かだ」とジャコビは語る。

「たぶん彼は引退しただろうと思う。彼は引退したがっていた。彼は政治が不正すぎると感じていたので、政治の世界に入ろうとはしていなかった。それに彼は個人的に多くを稼げていたからね。彼の姉が立ち上げた財団法人がまさにそれだ」

彼がそのキャリアで達成した競争力と対抗意識の背景で、セナの業績に対する尊敬が多くのドライバーから寄せられている。セナのレベルに達したいと願って。

「彼の才能は常に・・・彼は常にこれまでにいない天才的なドライバーの1人だったので、多くの畏敬の念を抱いてもらえたのだと思う。恵まれた才能、というやつだ。それからワールドチャンピオンになりたいということに対する強い思いがあった。彼はこのビジネスにおいて勝ちを目指したのだ」

「彼がこの世界にいたとき、勝つことから彼は多くの満足を得ていたと思う。F1で勝つ、ということで。彼はそれが自分の運命だと感じていた。彼は、そう、彼は自分に能力があると感じていたのだろう」

(F1-LIVE.comより)

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